治安の悪化が叫ばれて久しいが、最近私の身近で身近で立て続けに二件も強盗事件が発生した。
一件目は宝石店が、また半月後には高級時計店が四千万円もの被害に遭い、四月十六日付夕刊社会面に写真入で報道された。
かくいう私の店も三年前に半年の間を置いて二度も同じ手口の侵入盗被害に遭った。
一度目の被害に遭った時には、この様な事が自分に降りかかってくるのは信じられなかった。
とはいうものの損害は保険でカバーされ、こんな事は滅多にない事と考え、原状復帰をしただけであった。
しかし、被害が二度に及んで鍵の増設や防犯灯、警報の設置に重い腰をあげたのである。
連日、事件、事故が報道されている。
しかしそれらの多くは自分と関係の薄い、いわば他人事である。
よほど身近な事件でない限り大抵の読者は単なる野次馬的な興味しか持たない。
事実、冒頭の強盗事件後の井戸端では、「怖いねぇ」「うちは何も盗る物がないし」「まあ、保険が出るんでしょう」といった程度であった。
被害や衝撃の大きな事件・事故も、毎日見慣れてしまえば危険ボケしてしまう。
事件や事故が起こった時、それを教訓として有事に対する心構えや備えをするのでなければ、事実を知ることに時間を費やすのは無駄である。
わが商店街では二件の大型強盗事件を教訓として夜間に車の進入を防ぐポールや監視ビデオ設置の検討を始めた。
これについて、地元警察の担当課長も協力を約束していただいている。
しかし金銭的問題や道路占用に関する手続き、地域の意思統一など、前途遼遠である。
先週私は、まちづくりの主体である住民に自立・自決を啓蒙するのが地方紙の重要な使命であると述べた。
私たちの身の周りには生命財産の安全を脅かす「危機」が「今やそこいらじゅうにある」のが現実である。
人災に限らず、天災にも強い安全で快適なまちづくりを行うのは、住民の意思と行動である。
潜在する危険・危機や顕在化している課題を明らかにした上で、行政や警察などと連携・協働し行動を始めることが必要ではないだろうか。
そのためにも、多くの人に知らしむべき事象の選定、事実と真実を峻別、検証し、背後にある事情、必然性などについて多面的・多角的な分析による報道を神戸新聞に期待したい。
不幸にして事件・事故が生起した時、その再発を防止し、災いを福に転じる仕掛けづくりこそが必要である。
そしてその目的を達成する手段として、報道が求められているのだと考える。
2003年5月11日 神戸新聞に掲載